地方から消えたのは、人ではなく「時間」かもしれない
地方創生という言葉を聞くと、まず「人口を増やす」という話になる。
移住者を増やす。
若者を呼び戻す。
子育て世帯を呼び込む。
観光客を増やす。
もちろん、どれも大切だと思う。
でも人口減少がこれだけはっきりしている日本で、すべての地域が「人口を増やす」ことを目標にするのは、どこか無理がある。
最近、新聞で「地域経済循環率」という指標についての記事を読んだ。
そこで考えているうちに、人口とは少し違うものが気になってきた。
地域にとって本当に重要なのは、そこで何人が暮らしているかではなく、人間の「時間」をどれだけ獲得できているかなのではないか。
そんなことを考えた。
Amazonで買い物をすると、地域からお金が出ていく
地域経済循環率とは、簡単に言えば、地域で生まれたお金がどれくらい地域の中を回っているのかを見る指標だ。
地元の店で1万円を使えば、その1万円は店の売上になる。
そこから地元スタッフの給料になったり、地元業者への支払いになったりして、再び地域で使われる可能性がある。
一方、Amazonで買えば、そのお金の多くは地域外へ出ていく。
そう考えていると、NetflixやYouTube、SNSなどは、さらに面白い存在に思えてきた。
流出しているのは、お金だけではない。
「時間」も流出しているのではないか。
昔は「暇」が地域にあった
昔なら休日に暇になると、外へ出た。
喫茶店へ行く。
本屋へ行く。
買い物をする。
誰かに会う。
居酒屋へ行く。
車でどこかへ出かける。
暇を潰すために外へ出ることで、結果的に地域でお金が使われていた。
ところが今は、自宅にいながら暇をほぼ無限に潰せる。
Netflixを見る。
YouTubeを見る。
SNSを見る。
ゲームをする。
Amazonで買い物をする。
実際、こんなことを書いている私自身も、自宅のPCの前に座って新聞を読み、AIと話しながらこの記事を書いている。
外へ出る必要がない。
便利になったことで、人間の稼働時間は確実に減った。
にもかかわらず、私たちは「暇」に慣れていない。
暇であることに、なぜか罪悪感がある
私たちは、
働いている時間=生産している時間=価値を生んでいる時間
という社会で教育されてきた。
何もしていないと、どこか落ち着かない。
暇なら勉強した方がいい。
資格を取った方がいい。
副業した方がいい。
運動した方がいい。
「暇を投資に変えなければ」という発想自体、実は「何かを生産していない時間には価値がない」という考え方なのかもしれない。
これまでは、その罪悪感を消してくれる一番分かりやすいものが所得だった。
忙しく働いていても、所得が増えていれば「これでいい」と思えた。
時間を労働に変え、労働を所得に変える。
時間 → 労働 → 所得 → 正当化
という回路だ。
ところが豊かになり、モノがある程度行き渡り、さらにAIや自動化によって必要な労働時間まで減ってくると、この回路も少しずつ限界を迎える。
そこで出てくるのが、
「余った時間をどうするのか?」
という問題なのだと思う。
地方は「暇を潰す場所」を作らなくてもいい
都会やデジタルサービスは、時間を効率化する方向へ進んできた。
早く着く。
すぐ買える。
待たなくていい。
検索すればすぐ分かる。
いわゆる「タイパ」だ。
地方が同じ方向で競争しても、おそらく勝ちにくい。
ところが逆に考えると、地方には都会にはないものがある。
遠い。遅い。不便。何もない。
これまでなら全部「地方の弱点」とされたものだ。
しかし、快適さと利便性が飽和した社会では、それ自体が価値になる可能性がある。
熊野古道などは分かりやすい。
目的地に着くだけなら車で行けばいい。
それなのに、わざわざ何時間も歩く。
効率だけで考えれば、とんでもなくタイパが悪い。
でも人は、その時間にお金を払う。
つまり、
「時間がかかること」そのものが商品になっている。
「急がなくていい」から地域を設計する
ここで発想を逆転してみる。
普通の商品やサービスは、
「どうすればもっと便利になるか」
から考える。
地方では逆に、
「どうすれば、この場所では急げなくなるか」
から考えても面白いのではないか。
コーヒーが出てくるまで時間がかかる。
車では最後まで行けない。
歩かないと辿り着けない。
一日数組しか受け入れない。
地元の人と話さないと分からない。
普通なら改善すべき「不便」を、あえて残す。
「地方だから不便なのは仕方ない」では弱い。
「ここでは、急いではダメなんです」
まで言えれば、そこに思想が生まれる。
タイパは悪い。でもコスパはいい
ここで、もう一つ面白い組み合わせがある。
タイパは悪いのに、コスパはいい。
3時間も使った。
でも、やったことは一つだけ。
それなのに、
「この3時間、良かったな」
と思える。
ここでいうコスパは、「量÷価格」ではない。
もしかすると、
記憶÷価格
なのかもしれない。
観光地を10カ所回った旅行より、地元の人と2時間話したことの方が10年後まで覚えている。
そういう体験がある。
だとすれば地方が売るべきなのは、効率ではなく時間の濃度なのかもしれない。
姫路城を見て、その日のうちに広島へ行く
以前、インバウンド観光客のルートとして、
神戸で神戸ビーフを食べる
→ 姫路城を見る
→ 広島へ移動して泊まる
という話を聞いたことがある。
これを「観光客数」で見れば、姫路にも一人の観光客が来ている。
しかし「時間」で見ると全然違う。
姫路城を2時間見て広島へ行く人と、姫路で夕食を食べ、一泊して、翌朝街を歩いてから広島へ行く人。
どちらも観光客数は「1人」。
しかし地域が獲得した時間はまったく違う。
宿泊まで取り込めれば、夕食、居酒屋、ホテル、朝食、買い物、交通など、地域との接点が一気に増える。
そう考えると、ホテルは単に「部屋を貸す商売」ではない。
地域にとっては、
人間の時間を翌朝まで地域につなぎ止める装置
とも考えられる。
人口ではなく「人時」で考えてみる
ここまで考えて、一つ疑問が出てきた。
総人口の減少と、その地域で消費される総時間の減少は、本当に比例するのだろうか。
人口が10万人から8万人になれば、人口は20%減る。
しかし、
住民が地域で過ごす時間が増える。
観光客が長く滞在する。
二地域居住者が来る。
イベントで人が集まる。
日帰り客が宿泊する。
こうしたことが起これば、人口が減っても、その地域で人間が過ごす総時間は必ずしも20%減らない。
逆もある。
人口10万人の町でも、昼間はみんな市外へ働きに行き、休日は大都市へ出かけ、自宅ではAmazonで買い物をしてNetflixを見ている。
人口は10万人いても、地域が獲得している可処分時間は意外と少ないかもしれない。
ならば、人口だけではなく、
「人 × 時間」=人時
で地域を見るという考え方があってもいい。
人口を増やせなくても、時間は増やせる
地方で人口を1万人増やすのは、とてつもなく難しい。
でも、
住民が地域で過ごす時間を1時間増やす。
観光客の滞在を2時間から6時間にする。
日帰り客の一部に一泊してもらう。
地域外の人が月に一度訪れる理由を作る。
これは設計できる可能性がある。
そして重要なのは、ただ長時間滞在させればいいわけではない。
「こんなに時間を使ったのに、もったいなくなかった」
と思ってもらうことだ。
だから地域が考えるべきことは、
何人いるのか。
だけではなく、
何時間過ごしてもらっているのか。
さらに、
その時間は、いい時間だったのか。
なのだと思う。
人口減少は止められないかもしれない。
でも、
人口が減ることと、地域が獲得する人間の総時間が減ることは、同じではない。
地方創生というと、どうしても「人を増やす」という話になる。
でもこれからは、
人を増やすのではなく、人の時間を増やす。
そんな地域づくりがあってもいいのではないだろうか。
そして、その入口になる言葉は案外、
「ここでは、急がなくていいですよ」
なのかもしれない。



